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何かのためではなく、楽しむために何かをすることの大切さに改めて気がついた日

田園風景

今日、自転車で増上寺の横を通り過ぎた時に今日の教えの一節が目に入りました。

「人の命は食事をしている時にむせて死することあり」

生きるためにしている食事であるにも関わらず、それでも命を落とすことがあるということに対して、僕が考えて学んだことを書きたいと思います。

きっとこの言葉には人によって色んな学びがあると思いますので、僕の学びは、その中の一つとして読んで頂ければ幸いです。

生きるためにしていることでさえ、自分が意図しない結果になってしまうことがある。

日々の生活の中で考えた時、健康のために美味しくないものを毎日我慢して食べて、結果病気になることだって有り得ます。どこか良い学校に入るために毎日一生懸命勉強して、結果希望の学校には入れないことだって有り得ます。

つまり、自分がどんなに頑張っても、自分が望んだ結果にならないことは当然あります。望む結果が得られない時、なんで一生懸命に頑張ったのにこんな結果なんだ、と自分を責めてしまいがちです。

一生懸命やった自分を褒めてあげることもなく、自分を責めてしまいます。結果というものは自分でいくら頑張っても必ずいいものが出るとは限りません。

では、どういう気持ちで物事に取り組めばいいのか?

答えはとっても簡単で「自分が楽しいと思えることをやり続ければいい」と思います。楽しんで物事に取り組んでいれば、結果がどう出たとしても後悔や自分を責めることはほとんどありません。「我慢して何かのためにすること」が必ずしも良いこととは限りません。楽しいからこそ良い結果が得られることだってありますし、むしろ楽しんで物事に取り組んだ方が良い結果が得られるように思います。

まとめ

お寺の一節から色々考えて学びが得られたことに感謝!
日々のハードルを高く設定し、より高みを目指すことはとっても大切なことだと思います。しかし、高すぎるハードルにモチベーションが下がってしまっては元も子もありません。ハードルを越えるために無理し過ぎない、無理をしないようにとりあえず目の前にあることを楽しもう!と言う気持ちが大切だと改めて気がつきました。

何か無理し過ぎていることがありませんか?少し肩の力を抜いて楽しめているかなぁ?って自分に問いかけて、自分を労ってあげては如何でしょうか?

今日も最後までお読み頂きありがとうございます。

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