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御巣鷹山の慰霊登山に学ぶ。航空業界で自分が担っている重責を再確認した日

今年2017年は航空業界にはいって10年という節目の年でした。

1985年8月12月に御巣鷹山で起こった日本航空123便の事故はあまりにも有名です。当時僕は3歳、その時の記憶は全くありません。

自分がこの事故をはじめて認識したのは中学生の時に航空業界を目指した時でした。それまで飛行機が事故を起こすことなどあり得ないと思っていたため、それだけの大きな事故がしかも日本で起こっていた事実が信じられませんでした。

それからは自分の中での飛行機に対するイメージはガラッと変わりました。そして、それと同時に飛行機の安全の一翼を担う仕事がしたいという思いが自分の中に湧き起こりました。

思い返してみれば、高校で一時飛行機から意識が遠ざかったものの、大学に入り航空工学を学び、大学院で日本航空123便の不具合が再び起こってしまったときに着陸させる方法を研究した事は何かの運命なのかもしれません。

入社前に自分で日本航空の安全啓発センターを訪れ、自分が担う安全とは何かを考え、そして入社後数年して、知識や経験を積んだ後に再び安全啓発センターを訪れて、入社前に見えていたこととは別の事実や感情が自分の中にありました。

いつか御巣鷹山に登りたい。その気持ちはずっとありましたが、タイミングなのか気持ちの整理なのか、何が理由か分かりません。何か怖さを感じていたような言葉ではうまく表現することができない感覚があり、ずっと登山する事がありませんでした。

航空業界に入って10年、何かの縁なのかもしれません。会社で御巣鷹山慰霊登山が企画されるということを聞き迷わず申し込みました。自分の気持ちが行きなさいと言ったのかもしれません。

慰霊の園と御巣鷹山へゆく

今回は慰霊の園と御巣鷹山に行きました。

慰霊の園には合掌をイメージした大きな慰霊塔があり、身元不明者が安置されていました。

慰霊塔の後ろに犠牲者520名全員の名前が彫られた石碑があり、その多さに胸が締め付けられる思いでした。

あまり語られない上野村の方々を知ってほしい

ニュースでは事故に遭われた方々と遺族の方にフォーカスがあたっています。しかし上野村の方々も心に大きな傷を負い、さらに亡くなられた方々の御霊をこの先もずっと供養する責務を負ったことをご存知でしょうか。

いつもと変わらぬ日常がある日突然変わり、そしてその後、永遠に終わることのない責務を負うこととなった方々がいることをぜひ知ってほしいです。運命というにはあまりにも過酷すぎる使命だと思いました。その出来事から様々なことを学び伝える使命があるのかもしれません。

そして僕は飛行機事故により、どれほど多くの方々の平和で幸せな日常が失われてしまうのかをしっかりと認識しなければならないと強く思いました。

御巣鷹山へ

慰霊の園からバスで40分くらい移動し、御巣鷹山登山道入口に行きました。

昇魂之碑がある墜落現場までは約40分くらいでした。前日の雨で少し足場が悪くなっていましたが、道中は雨に降られることなく登山を終えることができました。

“パパ安らかに眠って”、“お父さん今までありがとう”という石碑を見るたびに犠牲となった方々とそのご遺族の堪え難い心情に胸から込み上げるものがありました。

パーツが落ちていた場所を示す立て看板。あちらこちらにありました。

御巣鷹山への慰霊登山を終えて

今まで自分が慰霊登山に来れなかった理由をやっと理解することができました。

それは自分の担っている仕事の重責を知れば知るほど、犠牲者やご遺族の方が航空業界に持っている想いが、自分には耐えられないほど伝わってくると思い、その怖さで一歩が踏み出せなかったのだと分かりました。

安全は、仕事に対する真摯な姿勢と直向きな努力でしか守れない。そしてその責務を全うするためには御巣鷹山の慰霊登山は避けて通ってはいけないことだったと今日分かりました。

安全は過去の事故から学び、そしてその教訓を次に繋いでいく事でしか続ける事はできません。

安全を1分、1時間、1日、1年、その先もずっと続けられるようにこれまで以上に自分の仕事に対して全力で取り組んでいこうと決意しました。

日本航空123便の事故で亡くなられた520名の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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