きっかけ
生きていれば、あれがしたい、これが欲しい、こうなりたい等の欲求が多いと思います。これを書いている僕も少なからず欲求を持っています。
全ての欲が不要とは思いませんが、自分への”過剰な欲求”は人生を豊かにするのではなく、人生を貧しくしてしまうことに気がつきました。むしろ色んなことを”手放す”ことによって、自分が想像もできないようなことが得られることを知ったので、書くことにしました(長くなるので僕が経験したことは後日書きたいと思います)。
人生を楽に、豊かに、そして楽しく生きるためのヒントとなる
”過剰な欲求”とは何か?”手放す勇気”とは何か?について考えたいと思います。
お金への過剰な欲求を手放す
お金はある程度あった方がいいと思います。しかし、有り余るほどたくさんのお金がある方がいいのか?きっと答えはNOだと思います。
もし、あなたの残りの人生が1ヶ月しかありませんと言われたら、残りの人生をお金を稼ぐことに使いますか?ほとんどの人は”今”自分がしたいことをするのではないでしょうか。仕事を選択する人もいるかもしれません、でもそれはお金が目的ではなく、自分が本当に仕事が好きで好んでそれを選択しているだけに過ぎません。
つまり、お金は、今を楽しむために必要なだけあればいいのではないでしょうか。有り余るお金があっても人生が豊かになることはありません。
今を楽しむために必要なだけのお金を持つことが、“お金を手放す勇気”です。
モノへの過剰な欲求を手放す
モノも同じです、今を楽しむために必要な分だけのモノがあれば十分です。モノが多くなれば、維持管理する手間が増えるだで、ストレスばかりが増えていつまでたっても人生が豊かになることはありません。
今を楽しむために必要なだけのモノを持つことが、“モノを手放す勇気”です。
プライドへの過剰な欲求を手放す
人はどう見られたいかを意識したり、誰かの姿を羨んだりします。他者からの評価は本当に必要でしょうか。他者の評価は自分がどう頑張っても自分の思い通りにはなりません。自分のありのままの姿で生きる方が生きててとっても楽です。自由に生きることを邪魔しているのは自分のプライドに他なりません。プライドは自分の心を強く見せかけるための手段でしかありません。
自分の大切な家族に危機が迫ったとき、プライドで家族を守ることはできません。守らなければならない人を決めておけば、自分がどう見られていようと大きな問題ではありません。唐突に大切な家族を例に出しましたが、自分が生きるための心の軸は必要です。
僕の軸は家族です。家族のためならなんでもできます。プライドなんて本当に大切なことの前では何の役にも立ちません。それを説明するために家族を例にしました。
大切な人を守るための強い心を持つことが、“プライドを手放す勇気”です。
まとめ
毎日が当たり前のように繰り返されると考えがちですが、同じように明日が当たり前のようにくることは当たり前ではありません。人生の終わりが見えた時や今までの生活が一変するような出来事に遭遇した時にはじめて、「あー、毎日が当たり前のように来ることって幸せなんだ」ということが分かります。病気になって健康のありがたみを知るのと一緒です。
今その瞬間に焦点を当てるためには、今あるものに満足することがとても重要です。なぜなら今あることに満足できなければ”過剰な欲求”ループを再び繰り返すことになり、今を楽しむことができないからです。
だから僕は”今を全力で楽しむこと”がとっても大切ですということを発信し続けています。
過剰な欲求かどうかを判断する明確な判断基準があります。それは”今を楽しむためにどのくらい必要か?”という基準です。突然の病気や事故でいつ人生が終わるかなんて誰にも分かりません。だから適度なモノとお金があることに感謝して”今を全力で楽しむ”べきだと僕は思います。
長くなってしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございます。今日書いたことが何かの気づきやヒントになれば幸いです。