きっかけ
子供がおもちゃについてやりとりしているところを見て気がついたことがありました。
次男「それ貸してくれる?」
長男「今遊んでるからヤダ!」
次男「なんで貸してくれないの?僕も遊びたい(怒る)」
長男「だって僕使ってるもん」
我が家でよくある光景です。何気ないやりとりですが、ひとつ腑に落ちないことがありました。
なぜ問いかけをした答えに対して怒っているのか?ということに疑問を感じました。
問いかけているのだから”YES”だって”NO”だって、どっちらの可能性だってあり得ます。
問いかけの答えに対して、自分が期待していた”YES”が返ってこなかった時に怒るということは、
問いかけではなく、命令です。
次男「それ貸して」
長男「今遊んでるからヤダ!」
次男「なんで貸してくれないんだよ、僕も遊びたい(怒る)」
長男「だって僕使ってるもん」
これは子供に限った話ではありません。僕自身、思い返すと自分の期待した答えが返ってこなかった時に不機嫌になったことがあります。
色々考えたましたが、相手の考えを尊重すること、相手を受け入れる気持ちが希薄なことが原因だと思いました。
気をつけなければならないこと
質問とは、自分が分からないことに対して、その答えを明確にするための行為です。
そのために気をつけなければないないことは何か?
はじめのステップは、知らず識らずのうちに答えを決めつけた質問をしている自分がいないか認識することです。
次のステップは、誰かに質問する前に自分がニュートラルで質問しているかを認識することが大切です。YESの時にはこう考えよう、NOの時にはこう考えようと思考を走らせると自分で決めた結論になってしまうので、気をつけましょう。
最後のステップは、相手の答えを素直に受け入れることです。相手の考えを尊重することで、素直に受け入れることができます。
最初は難しいかもしれませんが、繰り返すことでニュートラルに質問することができるようになると思います。
感想
自分が気がつかないうちに他者を自分の固定概念にあてはめて、求める答えを無理やり引き出そうとしてしまう可能性があることに今回気がつきました。
自分の殻(固定概念)を破ってこそ次への成長へと繋がります。たかが質問かもしれませんが、質問の繰り返しによって人は成長すると以前の記事で書きました。それぞれの成長のために一緒になぜ?を続けられる質問の糸口を見つけてみては如何でしょうか?
今日も最後までお読み頂きありがとうございます。