突然ですが僕の母は台湾人で、父は日本人です。
「えーっ?!ハーフに見えなーい」ってよく言われますが、アジア人同士のハーフだと見た目はこの通り日本人です。
ハーフってみんなイケメンだと思ってた…とかいうコメントは受け付けませんよー
母の生い立ち
本題に入る前に母について少しお話します。母は中学2年の時に台湾から日本に移住しました。
当時母の家庭は貧しくて、僕の祖父がブラジルか日本に移住して生活を豊かにしようとして、日本に知り合いがいたので最終的に日本に移住したそうです。
移住当初、母は日本語が分からずとても不安で、日本が嫌で毎日泣いていたそうです。友達もいなくて本当に辛かったと言っていました。
高校生になって英語研究会に入って、友達ができて少しずつ日本の生活にも慣れていったそうです。
大学を卒業して、航空会社で働きたいと思っていたそうですが、当時就職先を探すのは新聞の求人広告欄のみ。
航空会社の求人はなく母は、就職したいと思っていた外資系の航空会社の人事課を訪ね、秘書の方から「今は求人はないがとりあえず履歴書を預かっておく」と言ってもらえたそうです。
しばらくして成田空港の求人があって知らせてもらえてめでたく入社できたとのことです。他社は受け付けてもくれなかったらしく、今もその秘書さんの対応に感謝していました。
僕が大学生の時に、それまで30年以上働いていた愛する会社からリストラを言い渡されて、帰ってきてからずっと泣いていた母の姿を今でも鮮明に記憶しています。
いつも何事にもあっけらかんとしている母が大きなショックを受けて泣いている姿は、僕にとっても耐え難い光景でした。最終的に母は他の部署で引き続き働くチャンスを得て定年まで勤めました。
以上が母の今までをギュッと凝縮した生い立ちです。
たくさん経験した母から学んだこと
母から学んだことは沢山ありますが、その中でも特に社会人になって役立っていることを3つ書くことにします。
他の国の言葉を話すことの大切さ
母が航空会社に勤めていたこともあり、小さい頃から海外に行くチャンスがありました。
海外で英語をペラペラ喋る母を見て当時は何も感じませんでしたが、今になって「おっ、母ちゃん結構やるね」って思います 笑。
英語を話す母を見て、聞いていたおかげで英語を話すことに違和感がなく現在ある程度コミュニケーションを取れる英語力があるのかもしれません。
子供達の前で子供に聞かれたくない事を母と話す時は英語でやりとりしますが、子供は超敏感なので「えっ!これからプール行くの?」とか「えっ!これからお買い物行くのぉぉぉ、ヤダァ」とか単語を拾いながら大人の会話を理解しようとします。
このやり方、実は昔僕が小さい時に母が祖母と電話口で聞かれたくない話をする時に客華語(ローカルな台湾の言葉)で話をしていて、僕も聞き耳を立てて何を話しているのか聞いていました。
不思議と何を話しているのか分かっちゃうんです。自分も同じことやってたなぁと当時のことを思い出しました。
会社に依存しないこと
母がリストラを経験した当時はあまり意識しませんでしたが、漠然と会社って社員がどんなに会社への気持ちがあってもクビにされてしまうんだという寂しさを感じました。
自分が社会人になってから知識や経験を積む中で、母の経験が自分の中のどこかにあったのだと思いますが気がついた時には会社に依存しない働き方をするようになっていました。
僕が会社に依存せず、いつ何があっても自分で生きていける力を持つ努力をしようという気構えがあるのは、母が経験したこの出来事が大きく影響しているのは間違いありません。
たくさん泣いて悲しみを忘れたら次の一歩を踏み出そう
母はとっても切り替えが早いです。リストラにあった時はさすがに1週間くらいもぬけの殻になっていました。
だけどその後に「私はまだやれるし、働きたいからみんな応援して!」そう言って、色んな人と話をして同じ会社の別の部署で働けるようにセカンドチャンスを自分で掴みにいきました。
セカンドチャンスを掴んだ後は、今の僕と同じように都内から成田空港まで毎日往復6時間を6年間がむしゃらに働きました。
そして会社から何度も表彰され、その度に色んなところへも行っていました。
母はRetireする時に「色々あったけど、とっても楽しく仕事ができた」と胸を張って言っていました。
僕は諦めない気持ちと自分が信じて挑戦すればなんでもできるんだということを学びました。
最後に
今回は台湾人の母から学んだ色んなことを書きました。
記事の内容が台湾人と何も関係ないじゃんと思われるかもしれませんが、母は国籍や言語にとらわれず自分のやりたいことを全力でやってきました。
だから台湾人だろうが日本人だろうが”生きる上では自分がやりたいことをどれだけ頑張るかが大切だということ”を僕は学びました。
母はとても貴重で大変な経験をしてきましたが、それを乗り越えられたのは父の存在なくしてはないんだと思います。
父も母と同じくらいたくさんの苦労をしたと思いますが、それを家庭に持ち込まず母も支えて、やっぱり良い夫婦なんだなと思います。
今回の記事を書くことで、普段当たり前のようにいる母のことを考える良いきっかけになりました。
皆さんも普段近くにいる人に今まで何を経験したのか一度聞いてみては如何でしょうか?
今日も最後までお読み頂きありがとうございます。