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長男が自分の弱さに気づき優しさを学んだ日。優しさって何だろうと考えてみた。

先日長男が内腿の痛みで歩くのも辛いくらいの状態になった。普段あまり身体の痛みで何か出来なくなることがなかったのでとても心配だった。

結局原因が何か分からないまま痛みはなくなり、普段通りの生活に戻ることができた。

長男が優しい気持ちを持っていることは以前から分かっていた。きっと今のまま成長しても、相手のことを思いやれる人になったと思う。

今回長男は足の痛みがひどかったため、着替えすることもお風呂に入ることもモノを取ることでさえも自分ひとりでやることが困難だった。

僕も次男も何もできない長男に素直にやってあげたいと思ったし、当たり前だと思っていた。

自分の身の周りのことができなくなって4日目くらい経った時に長男が「僕は大統領でも王様でも何も偉くないのにみんなが僕に優しくしてくれて、とても嬉しい。ありがとう」と言った。

いつも色々な人に優しい長男でも、まだ人の優しさについて学ぶことがあるんだなとこの時初めて気がついた。

優しさを知らなければ、他者に対してどう優しくしてあげればいいのかを理解するのはなかなか難しい。もちろん相手からされた嫌な事からそれを繰り返さないようにすることで学ぶ事も出来る。とはいえ、誰かからもらった優しさから学ぶことの方が大きいんだと今回の長男の言葉を聞いて思った。

そもそも優しさって何だろう

一言で言い表すのはなかなか難しい。他者への愛情か?でもなんかしっくりこない。

見返りを求めない優しさと見返りを求める優しさがあるような気がした。

見返りを求めない優しさは、純粋に相手への愛情からくる行動なのかもしれない。

見返りを求める優しさをそもそも優しさというのか?一見するとこれは優しさじゃないように見えるかもしれない。しかし、相手に優しくすることで、相手から優しくしてもらうのは自分。つまり、見返りを求めてする優しさは自分に優しくすることと同義であることが分かった。

具体例としては、好きな子に優しくして、あわよくば付き合いたいなぁって思う時の優しさ、優しさの先に自分がいるときの優しさがそれにあたる。優しくされる方も優しくする方もみんなハッピーなはず?!なので、見返りを求めてする優しさは必ずしもズルいこととは限らない。

まとめ

今日は長男の優しさをきっかけに優しさってなんだろう?ということを考えてみた。

優しさとは、相手への直接的な優しさと相手を通じて自分への間接的な優しさがあることに気がついた。

優しさの押し売りは良くないけれど、相手や自分の事を思ってする優しさはどんどんすればいいと思う。世の中に優しさが溢れれば、世の中もっと良くなる。

余計なことはあまり考えず、優しくしたいと思った自分の気持ちに素直に応えるのが良いんではないかと思う。

今日も最後までお読み頂きありがとうございます。

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